ジョホールバルで妊婦生活を送った赤ちゃんの出産。
その日は37w5d。
長男と次男の時と違って破水が先でした。
陣痛が先だった二人の時との違いに一瞬パニックに。
幸い、実家で夕飯を食べてそろそろ帰ろうか。
とトイレへ立ったタイミングだったので
母が慌てる私をたしなめてくれました。
実家から病院へは歩いて5分の距離。
夫の義両親へ電話をかけて入院セットを自宅から運んでもらい、
隣に住む兄嫁に病院まで車を出してもらいました。
破水したのが20:40。
そこから病院へ行ったのが21時頃。
破水=菌が入る
と思っていたので、お腹の赤ちゃんが大丈夫か心配になりましたが
24時間以内に産めば大丈夫だと助産師さんに言われ一安心。
逆に陣痛が翌朝まで無い様なら促進剤等を検討しましょうと言われました。
そこから陣痛が段々と始まり、
過去2回の経験から、陣痛は痛いけれどまだ産まれる程の痛みでは無いと10分おきの痛みに堪えること数時間。
助産師さんには呼吸法がとても上手だと褒められました。
これはヨガをやって呼吸法を習得していたお陰だと思いましたし
3人産んだ中でも私自身、一番イキみを堪えられた呼吸法だったと思います。
深夜1時を超えた辺りから10〜5分毎に起こる堪え難い痛みに変化。
深夜2:10頃、そろそろ分娩室へ移ろうと助産師さんの誘導で一旦トイレへ。
トイレへ立つ時やトイレの中でも何度も陣痛が起こり
なかなか分娩室へ移動出来ず。
分娩台に上り、当直医を看護師が呼んだのが午前2時20分頃。
もうその頃には痛みで訳が分からない状態。
東京出張中で夫は立ち会えなかったのですが
その代わり母がずっと立ち会っていて
後で母から聞いた話しによると
担当医が「全開です」
と言った時間が2:40だったそうで
そこからイキんで9分後の2:49に産まれたのだとか。
胎児はギリギリまで下りて来ませんでしたが
イキみ始めて胎児の頭が骨盤に入った瞬間、
それはもう骨盤を押し広げるが故の激痛!!
無理〜〜〜!!
今から無痛分娩に切り替えられない???!!
思わず助産師に悲痛の叫び。
560g小さかった次男の時は骨盤が痛く無かったので、
長男同様3200g超えの赤ちゃんを産むときは
私の骨盤は悲鳴をあげるのだと知りました。
数字だけ見れば9分で産めて安産なのですが
当の本人からすれば全開から1時間くらい筆舌に尽くし難い痛みを堪えた気分。
長男の時は点滴が腕から漏れていたこと、
次男の時は子宮頸管裂創で死にかけたことを話していたので
点滴の針もしっかり固定してもらえましたし
子宮頸管の切れ具合もしっかり見てもらえました。
結果、破水から6時間後の出産になりましたが
9年振りのブランクを感じさせない出産だと言ってもらえました。
次男の時は骨盤の痛みが無かったので「もう一人」
なんて言っていましたが
今回は「もう十分」です。
4人目はもうありません。
あの痛みはもう勘弁です。
それでは私の人生で最後の出産になるであろう子供の顔をお見せします。
(どうせこの頃の赤ちゃんの顔は変わるので隠しません)
産まれたての顔。
二重まぶたは優性遺伝だと思っていましたが違う様です。
産後1ヶ月を過ぎた現在は、
どうやら隔世遺伝で義父に全体的に似ている様にも感じます。
40歳を超えた高齢出産。
持病や体力面や諸々で満身創痍ながらも
無事家族を増やす事が出来ました。
妊娠期間中にお世話になったJBのお友達、
出産に向けてお世話になった母を始め全ての方々に
この場を借りてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。